みんな10年前は10歳若かったんだぜ

私は映像制作の会社に所属していた4年半、報道番組の常駐スタッフとして勤務していた。

外から見てもテレビ番組は昨今入れ替わりが激しいわけだが、

それは内側から見ると尚実感するわけで、自分のいた4年半は本当に目まぐるしく変化した。

3年目を迎える前に、司会者が代わり、番組名も変わり、スタジオも変わり・・・

ハードウェアが変わった。とはいえ、ソフトウェア、内部の制作に携わる人間というのは

変わらなかったが、そこから、あっという間に社員が入れ替わり様変わりした。

最初は純粋な報道番組として、社会問題を切り込む司会者の角度と番組のスタンスが人気を博していたが、司会が変わると緩やかに変化していった。

それに気づいていたけど気づかないふりをさせたのはコロナ禍での報道バブル。

報道番組は無条件にと言ってもいいほど軒並み視聴率が上がり、

我々の戦場である土曜朝8時は報道にとってのブルーオーシャン

司会者が変わっても視聴率は変わるどころか、伸びていく一方だった。

だがその報道バブルも長くは続かなかった。押し付けられる自粛の波に耐えきれず。

1年かそこらで弾け飛んだように思う。

コロナを報じれば数字の上がる時期を経験し、感覚が鈍ってしまったところで

報道番組のあり方が変わったように思う。というより、均一化されたようにも思う。

独自目線でする報道番組が減少、担当番組ももちろんその渦の中だった。

視聴率が取れなくなって、文化人を軒並みカットして

有名タレントや元アイドルを呼び、生活とかけ離れた

政権批判風の井戸端会議をお届けするようになり。

それでも数字が取れないからと芸能人の訃報を取り扱い始めた。

1年ちょっとはコロナのない報道番組を経験した身でも、本当に嫌だった。

コロナと関係ある死を取り上げるのはギリギリわかるが、それと関係なく亡くなった人を

嬉々として取り上げるのはいかがなものかと思うし、それを見せても人の生活は豊かにならないし、もっと社会的意義のある報じるべきことがあるように思えた。

それでも疑いなく、誰かが週半ばで死ねば、必ずトップニュースに入ったりしていた。

その拙僧のないスタンスがどうも好きになれなかった。

だって、デイリーニュースでやっているのだから。そこに目線もクソもあるわけない。

有名人の死というセンセーショナルさで視聴率を稼ごうというあざとい考えがどうも好きになれない私である。

あとは伊藤計劃の影響も多少あるのかもしれない。ハーモニーという小説の主人公。

健康管理社会に抵抗するため、友人のミァハと自殺をしようとする。

結局成功したのは友人だけ、その死を過剰に悼む母を見て

「そうやって誰彼構わず他人の死に罪悪感なんて持っちゃ、いけないんだよ。

だって、ミァハとお母さんにはなんの接点もなかったんだもの。

私が憎んだのはそう感じさせるこのセカイの空気。」(伊藤計劃 <harmony/>66項より)

 

そういったことから、人の死、特に有名人の死には感情が動かなかった。

しかし、今日だけはそれらのみみっちいポリシーをとっぱらいたい。

大好きなヒーローが星になったのだ。

私は中高生くらいからバンドに興味を持ち、大学からギターを手に取った。

最初は全然バンドのことを知らなかったけど、どんどんいろんなバンドを知っていった。

その中で、学祭の夜のステージで先輩がTHEE MICHELGUN ELLEPHANTとTHE PINBALLSをコピーするのを見て衝撃が走った。

急いで、ウォークマンにミッシェルやTHE BIRTHDAYのデータを入れて聴きまくった。

大学生活の音楽の半分はチバユウスケだったかもしれない。

コピーすることはなかったけれども、憧れの存在だ。

セミアコを試奏しにいって、自分の演奏する姿があまりにも似合わなさすぎて

違うギターを買ったのだが、憧れる気持ちは諦めきれず、テレキャスターを改造し

ピックアップをグレッチのものにしたり、チバが当時MVで吸っていたラッキーストライクを吸ったりもした。

就活に赴く時は自分を奮い立たせるため、「THE ANSWER」という楽曲を聴いたり、

不安になりそうな時は「青空」を聴いた。

チバユウスケが「お前の未来はきっと青空だって」と背中を押してくれるように感じた。

そして仕事では担当していた番組で、関西で名のしれた気象予報士と仕事をするのだが、

打ち合わせに向かうと彼がBacchus製のテレキャスターを弾いていた。

打ち合わせそっちのけで、ギターの話をして、「何か弾いてみてよ」と言われ

ミッシェルの「世界の終わり」のリフを弾いた。偶然その気象予報士はミッシェル世代で

すごく盛り上がり、中を深めたのを覚えている。その後もスラムダンクの話で盛り上がったりしたのはまた別のお話、書き続けるとその人の名前を書いてしまいそうになるので・・・

これだけ話があるのに、実は直接ライブで見たことがないのが非常に残念だ。

なんでもそうだが、人はいつ死ぬのかわからない。

生きてるといろんなことがある。

 

「みんな10年前は10歳若かったんだぜ、不思議だよね産まれてない子もいるもんね、

死んじゃったヤツもいるか人生それぞれだわ」チバユウスケ

 

意識せずとも別れは訪れるもので、自分の中で大切だった何かが

知らないうちになくなっていることだって全然ある。

だからこそ慣れていかないといけないし次に進まなくちゃいけないし、

そして自分にもそれがいつ来るかわからない。

だから後悔のないように生きないといけない。

まだ見てない映画とか、ライブとか、聴きたかたった曲が

いつ見られなくなるか誰にもわからない。

死んでから生きててよかったとか思えるよりも

今を楽しまないといけないと切に思う。