四月になったので私は

お久しぶりです。

1月に自律神経を乱し、2月にはコロナに罹患し、3月はインフル。

そして今月は花粉と2024年の3分の1は体調不良が続いてまあ大変。

気づけばもう四月になっていた。

 

四月になれば私は

四月になれば私はー

仕事を辞めようと考えていた。

一年前、確か職場のカフェで社長と話していた。

まずは翌年の三月までは続けること、そこからどうするか決めること。

ディレクターになれないなら全部やめる。そのために一年かけて考えたいと

そういうつもりで切り出した。

所属していたところでディレクターになれば、三月に別の現場に行こう。

ディレクターになれなければ、仕事を辞めて他を探そう。

そんな考えでいたから、いつまで経っても変われなかった、変わろうとしなかったのだろう。

その二ヶ月後、色々あって離職することを決め、会社もやめることを決めた。

はっきり言って連携が全然取れないバラバラな職場だったし、今もそうだと聞く。

そんな急転直下で退職を決めたから、転職活動は大忙し。

それに加え余裕がないハローワークの申請、退職金の申請。

どんどん気分はやさぐれていく中で、バンド活動が開始。

激動の中転職先を決め今に至る。

 

「四月になれば彼女は」

離職直前に読んでいた小説「四月になれば彼女は」が先月映画化された。

インフルで棒に振っていたため、「ハイキュー」とか「デデデデ」とか

みたい映画をあまり見れていない中、取捨選択してこれを選んだ。

感想だが、まあ最悪だった。

最高な原作から改悪されてできたパターン化されたエモを

切って貼り付けたような仕上がりといった感じだった。

そもそも、「四月になれば彼女は」とは川村元気原作の恋愛ミステリー。

川村元気は新海作品を中心にプロデューサー業をする傍、小説も書く作家だ。

世界から猫が消えたなら」「億男」と

映像化も過去2回ほどされている人気小説家でもある。

そんな川村は以前どこかで「自分は何もない、だからプロデュース業ができるし、こんな小説を書く」みたいなことを言っていた通り、

最近話題の言い方をすると「パターン化されたエモ」を

感じるストーリーでありながら、喪失することから本質を見出していくという

そんな美学を感じる小説を書く。

 

川村元気作品について>

世界から猫が消えたなら

脳腫瘍で倒れた「僕」に死神が一日生きながらえる代わりに世界から何かを消すというストーリーで、死ぬ前の総括をしていく。

そこで消されるのはそのものだけでなく、そのものから生まれる関係性も消えていく

失うとはなんなのか、そしてそこから見えてくるものを描いていた。

 

億男

兄の借金3000万を背負い、妻子に逃げられた男が

宝くじで3億円を当て、どう使うべきかを友人に相談すると、

なぜか忽然と3億円と友人が消えてしまう。

友人と消えた3億円を探すべく、様々な形で金に翻弄される人を目にし、

最終的に友人と3億円は見つかり、その使い道は果たして・・・という作品。

失ったお金とは、妻と子供とはなんなのかということを考える作品だ。

 

「四月になれば彼女は」

結婚を控えた矢先、婚約者が消え、婚約者を探しながら、失った愛と自分を見つめ直す作品で

原作は非常に良かった。久々にいい小説を読んだなと思った。

 

だからこそ、いろんなみたい映画の中からこれを選んだ。

まず主演は3作連続で佐藤健、そして婚約者役に長澤まさみ、元恋人役に森菜々。

そして音楽は「世界から猫が消えたなら」でタッグを組んだ小林武史氏が担当。

告知映像の海外ロケの気合いの入り方から期待が膨らむ一方だった。

が、大爆死だった。

映像は非常に綺麗だったし、海外ロケもそれぞれにコーディネータをつける

異様な気合いの入り方で素晴らしかった。

他にも脇を固めるペンタックス、タスクも良かった。

あとは藤井風の主題歌・・・いい点はそれくらい。

あとはもうコラージュのように切りはりされたパターン化されたエモを

ストーリーラインに載せて淡々と流していくだけ、

CGでわざとらしい桜を散らせたりするのも悪手だったが、

何より悪いのはこの小説の良さを全然理解していない監督だ。

 

<原作概要>

結婚を目の前にした主人公の元に

9年ぶりに大学時代の恋人からウユニ塩湖の写真と手紙が届く。

それから数日、式場下見の翌日突然婚約者が消える。

電話をかけても、職場に行ってもいない。

一方、元恋人からの手紙は月毎に様々な国写真と共にくる。

大学時代を回想しながら、様々な愛憎を見届けた先、

婚約者が消えた場所とは・・・

 

脇役の雑さ

例えば婚約者の妹。原作では肉つきがよく、妖艶でとにかくエロカワな妹で、

既婚者なのに、姉の婚約者をこれでもかというくらい誘惑するしっとりした感じなのに

映画ではさっぱり主人公に興味ない感じでサバサバしていた。

原作小説で妹は結局、誘惑してきていて過ちを犯してしまう直前で、

旦那との子供を妊娠してしまうという幕切れでなんとも後に残る終わり方だった。

タイトル回収は・・・

そして主人公と元恋人が別れる理由。

これは映画版でもまあそれはそれでありだけど・・・

という感じなのだが、ここを変えたことでタイトル回収が難しくなった。

小説だとヌシという登場人物が出てくる。

このヌシが合宿で夜の海の前でサイモン&ガーファンクル

「四月になれば彼女は」を歌っていた。

そのヌシの自殺未遂がきっかけで主人公と元恋人の距離は離れていき、

別れ話をしたわけじゃないけど、気がつけば疎遠になっていた。

実はヌシは既婚者でそこそこいいとしで大学生しているが、

主人公の元恋人のことが好きになってしまい、最終的に自殺未遂をする。

というやべえやつ。自殺未遂とかそんなドラマはなくても

そういうなんかこう第三の謎の力で、ひっついたり、はなれたりよくわかんなくなるのが

大学生だよなとしみじみ思わせる要素でこの小説の素晴らしい点のひとつ、

そして、裏テーマの海で表題の「四月になれば彼女は」を歌わせたのは正解だ。

一方映画はというと子離れできない親をかわいそうに思った元恋人が

主人公を選べなかったという終わり方。

シンプルにあるあるすぎて、ちょっと・・・って感じだけどまあ

ギリギリ許そう。

 

改悪された終着点

最後に一点クライマックス。

ここを変えたのが最悪すぎた。

終わりよければ全てよしとはいうもんで、終わりさえ良かったらさ。

と、言い聞かせて後半見ていたが、ひどい。ひどすぎる。

原作小説ではヌシがやべえやつだったけど、

映画は婚約者がマジでやべえやつでしかなかった。

原作小説のラストシーンはカーニャクマリ。

インドの朝日を見れるスポットとして有名な場所なんだとか。

原作では主人公と元恋人は大学時代、海外旅行をして

インドにいき、そこでカーニャクマリの話を聞くのだが、その当時は向かえず。

断念することに。

それが心残りだということ、主人公と別れたことも同じく、

そんな趣旨の手紙を婚約者の部屋から見つけてしまう。

この手紙は主人公が読むより先に、婚約者が読んでしまっていた。

そこで婚約者は不安に思う。だからこその「でも藤代くんは、まるで幸せそうじゃない」につながって、失踪してしまう。

結局、婚約者がいたのはカーニャクマリ、それに気づき、

インドまで飛び、カーニャクマリを目指し、バスや車を乗り継ぎ最後は走って

婚約者を追いかけ抱きしめる。すばらしきフィナーレだが・・・

 

映画の最後のシーンは日本。

予算が厳しい中、あれだけの海外ロケをして、素晴らしい映像をとったのだから

金銭的な面、そしてインドという治安と衛生面でそうなったのはまあ仕方ない。

けれど本当にひどい。婚約者がいた場所、ラストシーンは元恋人が療養する海が見える

施設だった。

どういう動機かはさておき、元恋人の名前で調べたのか、その療養所を突き止めて

そこで働き出して、婚約者は元恋人と接点を持ち出すのだ。

ここが本当にひどい原作改変。原作と同じようにペンタックスから元恋人の死を知らされ、

療養所に向かう主人公そこで、元恋人のカメラを受け取り現像して・・・

そこまでは良かった。

 

長澤まさみの顔写真が出てきた瞬間に冷めた。

そこからペンタックスの車で療養所に向かい、

療養所の海辺でクライマックス。

とんでもない形で答え合わせが行われて正直そこだけはサスペンスでも見てるような気分だった。

 

 

総評

原作と映像作品が異なるのは当然だし、原作を越えられない映像もあれば

原作を超える映像だってある。

今回の場合は圧倒的に前者だ。映画館でカップルで来てた女性が泣いていたけど

わけがわからなかった。どういう感情と聞きたくなるくらいにはわからない?

正直雰囲気ものを見せられた気分だし、泣いていた人は原作小説読んだら、

涙腺から水分全部なくなるんじゃ・・・というくらいの出来だった。

例えていうなら、実写未来日記と同じくらいひどい(まああれはあれでいいんだけど)

ガリレオだ(内海は初期原作では出てきません、月9だったからフジテレビが改変して

ああなりました。原作はもっとむさ苦しいです。)

映画初挑戦の監督だそうだが、それにしてもこの物語の本質が点で掴めていないというか

とっ散らかったままで要点を掴めていなかった印象だった。

 

結論、ここ最近映画館で見た映画で当たりは

実写映画「ガリレオ

アニメ映画「PSYCHO-PASS Providence」かなあ

 

ではではまた何か気が向いたら書くよー