言語化するという努力

お久しぶりです。

世間では祝日の木曜日と土日に挟まれた金曜日に有給をとって

4連休と洒落込んでいる方も多くいたのではないだろうか。

まあ私はずっと11月中頃から20連休ほど。

明日からまた久しぶりの面接があるわけだが

正直仕事での自己実現というのには何も求めていない。

最低限貯金に回せるくらいのお給料をもらえて

ワークライフバランスが取れていればもうそれで良いかなってそう思っている。

仕事で自己実現をできている人なんてほんのわずか、

そこを目指すのかどうかというところ。

私は中学時代強豪校のバスケ部に所属していたのだが、

その時ですらベンチに入れるかどうかの存在。

高校では怪我で部活を辞め、志望校には一歩届かず落ち

滑り止めの大学でなんとなくうまいこと、楽しく生きてここまで来ることができた。

そんな私が、何か仕事で自己実現など到底考えることができない、

というより、そういうイメージができない、思考回路がないのだ。

ならばせめて、毎日楽しく死ぬまでの暇つぶしをしていきたいと

切に願うばかり。

だから、結婚もそこまで考えてはいないし、生活は食べて寝てができればいいと思う。

趣味が出来ていればそれでいいと。

そらね、電撃走る運命みたいなのを感じれば結婚は別だが、

もうそんなのは当分ないんだろうなとも思っている。

そこで最初は、実生活を犠牲にして行きたい業界で仕事をしていたわけだが、

だんだん実生活や趣味を犠牲にしているのに耐えられなくなってしまった。

そんなこと最初からわかっていたことだけれども、職場で色々あって

自分の中の悪いくせの「諦め」が出てしまった。

冷静に考えて、この業界でスターティングオーダーはおろか

おそらく2軍のロスターにも入れるかどうか、そんな現実をどうしても

否定しきれなかった、認めざる終えなかった。

人に言わせりゃ「諦める理由を探しているだけだ」というかもしれないが

逆にずっと同じ業界で居続けて自分が幸せを掴み取れると保証できるのかと

問いたい。

そりゃ成功し続けて努力し続けている人にはわからないだろう。

だからつまるところ、私の音楽はとても打算的なところから再スタートしている。

努力をしてどうのこうのできるもんじゃないからこそ、

姑息に、媚を売るように打算的な音楽を作っている。

そういうところは実は嫌いじゃない、

とはいえ私は音楽的な知識が豊富なわけじゃないから、意図的というより、

感覚的に媚を売っている。媚を売るもうそれは私の身に染み付いてしまっているのだ。

中学歴でスタメンに選ばれることのなかった私が少しの諦めの悪さで始めた音楽。

サークルでも何か特別上手だったわけじゃない、音楽の専門知識のない私の音楽は

どうしたら世の人々に聞いてもらえるのか。

そんな打算的なことを考え今日もまた音楽を作り続ける。

 

余談ではあるが、小学生の頃は何かとうまいことできていた。

いじめられはしたが、ゲートボールでは京都3位チームのスタメンで全国にも出場したし

ドイツW杯の影響で始めたサッカーでは正ゴールキーパーを任され、

中学の球技大会ではサッカー部にスカウトされるほどだった。

どれもこれも偶然上手かっただけだと思っている、いい言い方をすると

天才型だったのだと思う。

なぜゲートボールが上手かったか、なぜキーパーが上手かったか

今でもよくわかっていない。スティックを振り抜けば思ったところに行くし、

蹴られたシュートの方向に手を出せばシュートは止まるし。

本当になぜそれがわかるのかはわからなかったし、今もわからない。

よくある強豪チームが「@@ノート」をつけるようにというのをよく見るが

本当に大事だと思う。

自分の言葉で間違っていても、感覚の部分を言語化する。

合っているか間違っているかはその後の再現性があるかどうかでわかるし

間違っていても学びがある。

最終的に前職でもそれを怠ってきた、

それが自分を追い詰めてしまったのだと思う。

しっかり言語化していれば、研鑽も早くでき、

後ろから刺そうとする後輩がいても、刺される前に次に進めたと今では思う。

例えるなら、頭文字Dの最終章の「高橋涼介のFC3S」対「北条凛BNR 32」

早すぎるコーナリングスピードで凛の危険なプッシングから逃れた涼介のような

そんなとこだ。要は手が届かない存在になれればよかったのだ、それが遅すぎた。

言語化する努力を怠ったそれが原因だと今では腑に落ちている。